宮城県鳴子温泉旅館組合

鳴子温泉歴史と由来

江戸時代、鳴子は出羽・羽後両街道の要所で、尿前・鍛冶谷沢・中山・鬼首に宿駅があり玉造四駅として栄えました。宿場の賑わいは消えましたが、尿前の関から山形県の境田までの約5.2kmがおくのほそ道(遊歩道)として整備され、天然林の山道を散策することができます。

鳴子の歴史(由来)

●鳴子の名のおこりは、一説には源義経が北行(源頼朝に追われて平泉へ落ちのびる途中)した際に、出羽の国で婦人が子供(亀若丸)を産み、この地に来て産湯をつかわせたところ初めて呱々の声をあげたことからくる「啼子」説や、承和二年(835年)に潟山が大爆発し、熱湯が轟音をあげて噴出したことから、村人が「鳴郷の湯」と名付けたとする説があります。

義経と芭蕉

●松尾芭蕉が、「奥の細道」で鳴子から尿前を通る出羽街道中山越えを選んだのは、義経伝説に心を動かされ、その物語と歴史への追懐の気持ちから、義経の落ちのびた道をたどったという説もあります。 「奥の細道」には、『小黒崎・みづの小島を経て、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この路旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、やうやうとして関をこす。大山を登って日すでに暮れければ、封人の家を見かけて宿りを求む。』とあります。当時は、出羽街道中山越えコースは大変な難コースでした。途中の尿前の関では、取り締まりが厳しかったと同行の曾良が記しています。尿前の関跡の左手山際に、自然石の芭蕉句碑があります。碑の正面に「芭蕉翁(中央)俵坊鯨丈(右)主立周谷(左)」、横に「鯨角刻」、裏面に「蚤虱馬の尿する枕もと 明和五戊子六月十二日建 尿前連中」と刻まれています。

鳴子温泉全景
奥の細道
尿前の関
石碑
鳴子温泉旅館組合/宮城県大崎市鳴子温泉字湯元2-1 tel:0229-83-3441

コンテンツ